十年について
  十年の歴史

「たしかにツラい時期もありましたよ。新地でバーボンの専門店なんて、誰しもバカげてると思ったでしょう.....」
笑顔でそう語るマスターの言葉に【十年】の歴史が見えてきます。ではその歴史を、少しひもといてみることにしましょう.....

新地で誰もやらないような店を

10代の頃からバーテンダー修行を始めて10年間.....
「今こそ何かの区切り。自分の店を持って試してみる時じゃないか。」と一念発起。しかしただのバーでは意味がない。新地で誰もやったことのない革命を起こそう、と心に決めたのです。そうして新地で、いや日本で最初のバーボン専門バー
【十年】がオープンしたのです。
1970年代に向けて世界が大きく変わろうという動乱の時代…。1969年のことでした。

 

 

日本のバーボンを変えた人物

その頃、日本で「ウイスキー」といえば100%「スコッチウイスキー」のことでした。誰もバーボンに見向きもしなかった時代です。
どこへ行っても、「バーボンなんて」と一蹴されるされる始末。「バーボンの持つすばらしい味と香りを何とか知ってもらいたい、広めたい、味わってもらいたい.....」

悩み抜いた先にマスターの出した答えは、「行動あるのみ」でした。
日本でのバーボンウイスキーのイメージを「私が変える!」。
手に入らないのなら「手に入るようにする!」。
日本のバーボンの歴史は、ここからはじまるのです。

 

米大統領も認めた新地のバー

知人の協力や交渉の末に、まずはアメリカ領事館に協力を要請。好関係を築くも、まだまだ突破口は開けたとはいえませんでした。そうして、とどまることを知らないマスターの思いは、アメリカ大統領に直談判するにまで至りました。
ジョンソン、カーター、フォード…。当時の歴代大統領に「何とか日本でのバーボン普及に力を貸して欲しい。」と思いをひたすらにつづりました。


マスターは単身渡米し、本場のバーボンを知り、ただがむしゃらにバーボン道を追求しました。その努力と思いが海を越えて伝わり、とうとう大統領から協力のための証書を頂き、1970年にはケンタッキー州・テネシー州から「名誉市民」の称号まで授かりました。

さらに日本においては、「バーボンウイスキー普及協会」を立ち上げ、自ら会長をつとめ、さらなる普及に励んでいます。こうして、名実とともにマスターは日本のバーボン普及の先駆者となったのです。

十年を経て、また次の十年へと

【十年】はおかげさまで、当年きって37歳になりました。
行き交う人々の思いをバーボンでつないではや40年近く。
この先の10年、またこの先10年と自然と人の集まるお店になれば.....と、マスターのその思いを胸に【十年】は続いていきます。

700本を超えるバーボンに囲まれて、大きなカウンター越しにマスターは言います。
「バーボンにはロマンがあります。10本あれば10本の味と香り、ドラマがあるんです。」とマスターは今日もバーボンへの愛とアメリカへの郷愁を語ります。


それでは今宵はこのあたりにして、
あとはマスターの話とバーボンの香りに酔いしれるとしましょう。